署内にて

通された部屋は素っ気なかったものの、椅子ではなくソファが据えられていた。僕のための灰皿も準備されていた。
「取調室かと思ってました」
「先ほども言いましたが、あくまでも調査に協力いただく、というのが私たちのお願いです。そんな失礼なことはしませんよ」
そういって、彼は自己紹介を始めた。私が西野、向こうが関塚です、と。西野さんが僕の向かいに座り、関塚さんはドアの前に立っている。西野さんは頭に少し白い物が混じっているが、かくしゃくとした方だ。たたき上げ、というが、少し知的な物言いがある。メガネの奥の目は、まさにデザインレビューの時の熟練エンジニアだ。関塚さんはまさに働き盛りといった体で、短髪をワックスで軽く立ち上げさせている。しかし、彼は常に怒っており、ワックスなどなくてもモヒカンになるんじゃないか、と思えた。
「今日は、私たちが何を伺いたいのか、をお話しします。目的を共有することにより、捜査を円滑に進められるようにする、それが今日のゴールです。ですから10分もかかりません」
「助かります」


西野さんがすっと煙を肺に入れ、ゆっくりと話し始めた。
連続殺人事件がある。
被害者は全てが何らかの形で電子書籍に関わっていた。
斬奸状、とタイトルをつけられた紙が現場に残されており、意味がよく読み取れないが、それぞれ被害者がどのように本を冒涜したか、が書き記されている。
凶器の種類は一種類。刃物と思われるが、反撃はおろか、防御すらできなかったと思われる。

それだけだった。秘匿している情報があるのかもしれないが、五里霧中、というのが現実のようだった。
「それであれば、サイバー部門と連携を取るなどした方がよいのでは? 僕のような素人がお役に立てるとは…」
「協力する準備はしています」
「そんな、さっき人が殺されているっておっしゃっていたじゃないですか」
「やれるんならやってます」
関塚さんが声を押し殺して言った。目が燃えている。西野さんが、お前は少し黙ってろ、と言って話を続けた。
「管轄が違うということは、別企業のような物なのです。これは残念ながら事実です。もちろん我々現場レベルでは…本来出してはいけないのですが…情報共有を始めています。しかし何事にも優先順位がある。彼らは彼らで既に抱えきれないほどの案件を持っています。そこに無理矢理ねじ込もうとしている、というのが現時点です。我々も、斬奸状なる社会に対する挑戦を許すわけにはいきませんし、複数の殺人となれば当然割けるリソースは割いています。上層部も強く関心を持っています。しかし、一つだけ、この事件を最優先にできない事情があります」
「その事情とは」
「無差別殺人ではない」
ルートコーズがあるならしらみつぶしをやる必要がない、そう考えると割けるリソースは限られてしまう、という話だ。西野さんが、煙草を一気に根元まで灰にして、灰皿に押しつけた。
「私たちは、可能な限り効率的に、迅速に捜査を進めなければなりません。そのためにできることはなんでもやります。その一つが、電子書籍の第一人者と言われるあなたに協力いただくよう努力することです」
西野さんが僕の瞳をまっすぐ見つめる。僕の承諾を得るために、法に触れようがどうしようが、やれることはすべてやる、そういう目だ。こらえきれずに視線を切る。助けを求めて関塚さんの顔を見るが、そこには全く同じ目があった。
「…できる協力はします」
「ありがとうございま…」
いいきる前に黒電話のベルが鳴った。正確には、携帯電話の着信音がその音で、それは西野さんの胸元から響いていた。西野さんが失礼、と言って電話を取る。西野さんは一度部屋を出、1、2分で戻ってきた。おそらく1、2分だとは思うが、関塚さんの睨みに晒される僕は、それが10分にも20分にも感じられた。
ドアが開いて、西野さんが戻ってきた。歩きながら煙草に火をつけて軽く煙を吐く。そのまま言葉をつづけた。
「桜坂さんをご存じですね」
「いえ、そのような方は…」
「さくらソフトウェアという方です。ツイッターでよくあなたに絡んでいるようですが」
「ああ、その方なら…」
「いましがた、亡くなりました。本の斬奸状があったそうです」
「…え?」
「遅くまで申し訳ありませんでした。私たちはこのまま神奈川県警に挨拶に行って、筋を通して現場に向かいます。開示できる情報、伺いたい情報が出ましたら連絡いたします」
「…それでは僕の電話番号を…」
「それには及びません、申し訳ありませんが、存じ上げております」
関塚、お前はクルマ準備しとけ、西脇さんがそう言った。関塚さんはじろりと僕を見て、部屋を飛び出した。ドカドカと廊下を走る音が遠ざかっていく。
「本来ならばお送りするのが筋ですが、本署の出口までとさせてください。申し訳ありません」