偉大なるNo.7

ピ、と笛が鳴って試合が始まった。
「疲れたら、座ってもいいんですよ」
彼女が気を利かせてくれる。ど真ん中とは違って、この辺は座ってる人もいる。
「せっかくペタ靴履いてきたんで大丈夫です」
と笑って答える。アサコはどこからかオペラグラスを取り出して、ボールと関係ないところを見ていた。いや、まぁ、11番の人を見てるのはわかるが、それ、既婚者ですよ?


試合はほぼ一方的な展開だった。一方的すぎて向こうがわのゴールのほうでばかり試合が進むので、ちょっと損をしたような感じ。時計を見たらもう30分が過ぎていた。しかし一方的なのに、周りのサポーターたちはあまり沸き立たない。隣の彼女に至っては、眉間にしわが入っていた。別にこの調子ならそのうち点も取れるでしょ、と思っていたらコーナーキックになった。長身のセンターバック二人が上がって、そのぶんサイドバックがセンターサークルあたりに残る。手前側を狙ったコーナーキックははじき返された。てんてんと…
「アッ」
隣の彼女の小さな悲鳴。ボールはただ一人、前に残っていた白いシャツの選手の前に転がった。サイドバックが寄せるがスピードを殺せない。むしろ速度を上げてこちらゴールに突き進んできた。他の選手の帰陣も間に合いそうにない。キーパーが少し前に出てコースを消す。大丈夫、コースはない、そう思った瞬間、白いシャツの選手はもう一段加速した。ボールは、コースを切ろうとしたディフェンダーの足の先と、キーパーの脇をかすめて、ころころとネットに吸い込まれた。笛が鳴って、審判がセンターサークルを指さす。失点。
前の方で、せぇーの!と声が鳴る。ハンドクラップがそれに続いてコールが響く。
しかし、戦況はむしろ悪化した。押し込めていたものが、今はそこまで持って行くことができない。お互いチャンスらしいチャンスもないまま笛が鳴り、前半が終了した。
ショウゴさんがあー、と行って上を向く。そしてこちらに向き直った。
「ビール買いに行くけど、いります?」
「いります」×2
結局全員が頼むことになって、さすがに一人じゃ無理だろう、ということでわたしがついていくことにした。売り子さんの列に並んでショウゴさんが苦笑いをする。
「すいません、なんか、しょっぱい試合になりそうで」
「でも、あれだけ押し込んでたんだし、なんとかなるんじゃないですか?」
と、素人考えを述べてみる。んー、とショウゴさんが首を倒す。
「相手のチームがね、こういう試合が得意なんですよ」
「というと」
「押してるんだけど、点が取れない、と思ったら点を取られてあとはひたすらのらりくらり、みたいな」
「それはなかなかフラストレーションたまりそうですね」
「まぁそれも含めてサッカーですしね」
笑顔がちょっと自嘲的だ。順番が来て6つビールを注いでもらう。三つ持とうとしたが、渡されたのは二つだった。席に戻ってアサコにビールを渡す。あぁそうだ、とショウゴさんが白いストラップフォンを取り出した。あまりに小さくて触らせて、と言いそうになる。終わったら呑みに行きますけど…といいきる前に、アサコが「行きます。二人とも」と返事をした。じゃあと言ってそのまま予約を取ってくれた。ショウゴさんの苗字がササキさんだという情報が足された。
バラバラと拍手がなって、みんなが立ち上がる。選手が1人、また1人と姿を現す。がたがたと起立する音が聞こえる。コールリーダーがトラメガのスイッチを入れる。少しハウリングが聞こえる。
「選手もキツイと思うんで、ちょっとでも背中を押してあげましょう。声出して、手を叩いて」
右に、左に、呼びかける。
「メインとかバックにいる人たちもね、俺たちが元気よくやってればノってくれるんで、スタジアム全体揺らしましょう」
たった一つのトラメガのウォークライがゴール裏を揺らす。数千のアンプがウォークライに共振する。歌はよくわからないけれど、とにかくわたしも手を叩く。アサコに至っては振り付きで跳ねている。
しかし、ペナルティエリアに入れない。外から入れるクロスもはじき返される。反撃はほとんどないものの、ただ時間だけが過ぎる。オーロラビジョンを振り仰いだら、既に20分が過ぎていた。これだけの人たちの想いは、無為になるんだろうか、と思ったところで、隣の彼女があ、と言った。指さす方をみんなで見る。控えの選手が一人、試合用のユニフォームに着替えていた。マッチデーを見る。
「…DFの選手を入れるんですか?」
それは…と言いかけた隣の彼女の向こうからショウゴさんが割り込む。
「うちで2番目に点が取れるのは4番のDFなんです。彼を前にだしてほうりこみです」
ショウゴさんが言ったとおり、MFの選手が交代になり4番の選手が最前線へ上がっていった。そしてそこからは、ひたすら放り込む。拾う、サイドバックに渡す、サイドバックが中央に放り込む、とにかく競ってシュートする。
あぁ、しかし、相手も集中している。シュートにはなるものの、ゴールを割るまでには至らない。なんどもゴール裏が沸いても、相手の選手たちが涼しげに見える。ひょっとしたら、と思った瞬間、跳ね返されたボールが、ぽろりとこぼれた。


前半に点を取った彼の前に。


前を向いて加速していく。DFは一人、つまり、いないも同然だ。白いユニフォームが加速する。ダメだ、と思って目をつむってしまった。が、周りがわっと沸く。7と書かれた背中が大きく見える。激しくチェイスして肩を入れる。二人の姿勢が崩れる。白い選手は転び、赤い選手は踏みとどまった。サイドバックがボールを回収する。そのまま放り込む可と思ったが、7番が猛然とこちらに走る。その前にサイドバックがボールを出す。相手DFが詰めにいく。けれども、わたしとゴールとボールと彼の間にはなにもなかった。


一閃。


まっすぐわたしに飛んできたボールは、そのままネットに吸い込まれた。
周りとわたしの言語化不可能な叫びがスタジアムを揺らす。そしてハンドクラップ、7番の選手のコールが響く。彼は自らが突き刺したボールを拾い、センターサークルへ運ぶ。しかし白い選手たちは慌てなかった。それでもゆっくりキックオフまで時間をかけた。彼らは腹をきめたようだった。


守る、と。


拾ったボールを、誰も居ない彼方へ蹴り出す。つなぐこともキープすることも考えず、色気を出さずに90分の笛が鳴るのを待つつもりなのか。わたしの目の前の白い壁が憎らしい。なんどもなんども跳ね返されて、応援に疲れかけた頃、トラメガが響いた。
「もう少し! あと少しだから、声出そう!」
もう悲鳴だ。手を叩く、歌う。


そこに、違和感があった。
サイドバックが居たスペースに8番がいる。サイドバックは8番に預けてそのまま縦に抜けようとする。DFがあわせてスライドしようとした瞬間、逆サイドのペナルティエリア手前にパスが通った。受けた11番が反転して抜け出す。が、身体半分抜けたところで倒れ込む。ファウル!と声を上げたわたしは、審判が両手をこちらに上げるのを見た。こぼれたボールを6番がそのまま放り込む。時間が止まった。


跳躍する4番。ボール。ゴール。わたし。