Tomoe

おなかがすいた。何かつまんでビール呑もう、そう思ってリビングのドアを開けたら、お姉ちゃんがデスクで電話をしていた。外そうか?とハンドサインで示すと、お姉ちゃんは軽く手をふった。(どうでも)いいらしい。ビール3本とスモークチーズをピックアップしてリビングに戻る。電話はまだ続いていた。
「…ええ、承りました… はい? あぁ、それでは予定を確認しますので少々お待ち頂けますか?」
お姉ちゃんが椅子の背に体重を乗せて上を向く。胸から顎の先のラインがまっすぐに伸びる。目を閉じて、右手を握り、一本ずつ小指から伸ばす。eins, zwei, drei, vier, fünf. お姉ちゃんは目を閉じたまま、会話を再開した。
「お待たせしました。大変申し訳ありません。その日は別のクライアントと打ち合わせが入っておりまして、ええ、またの機会がありましたら。…それでは、失礼いたします」
ぺり、とチーズの包みをあける。お姉ちゃんが、一本ちょうだい、と電話を切りながら言った。余裕を持っておいてよかった、なかなかやるじゃん、わたし、と思いながらタブをあけて手渡す。
「お姉ちゃん、さっきのこれ、なに?」
さっきのお姉ちゃんの真似をして、指を一本ずつ伸ばす。
「生活の知恵」
「知恵?」
「ああやらないと、わたしは時間がたたないの。あたまの中だけだと短すぎるみたい」
お姉ちゃんが小さくためいきをつく。天才が生きていくための、ささやかな生活の知恵。