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車が二台ほど並んで通れる門を見て、大名屋敷かと心の中で毒づいた日のことを思い出す。大雪の日だったが、門から母屋までは人三人ほどの幅で綺麗に雪かきがされていた。
襖を開けられ部屋に入ると、ババアが脇息にもたれかかり、キセルを蒸していた。お座りなさいな、と声をかけられて座布団に座る。お茶が出された。顔を近づけずとも香りの高さで上物だとわかる。寒い中、呼びつけてしまい申し訳無いね、せめてお茶でも飲みなさい、と声をかけられありがたくいただく事にする。実際のところ、駅から歩いて来るだけで体の芯まで冷え切っていた。
酒の方がいいかと思ったが、まぁ、大切な話があるとのことなんで、それは後にしようかね。ババアが煙草盆に灰を落とす。お茶を飲み終え、ババアと目を合わす。値踏みされている。
「本日はお時間をいただきま…」
「そういうのはいいから要件を教えておくれ。こちとら老い先短い年寄りだ」
ピシャリと閉ざされる。
「利部の遺稿をお持ちだと聞きつけました」
「あったらなんだと?」
「弊社で出版させていただきたいと」
「あたしゃそろそろ閻魔様が怖い年頃でね。あるともないとも言えないね」
「利部は人類の財産です。是非とも私どもにお預けいただきたい」
「…困ったねぇ。この寒い中来てもらって空手で帰すのも情がない話だ」
ババアが刻みたばこを丸めてキセルに放り込む。ちらりとこちらを眺めて火をつける。
「ウチのものに一発当てるなり、倒すなりすれば、ということにしようかね。トウカ」
背後の襖がすっと開いた。案内役のメイドが正座していた。
「お呼びでしょうか。董子様」
ババアが俺をねめつける。
「これが相手だ。何をしてもいい。当てるなり、倒すなりすることができれば、ちゃんと回答をしよう」
「…私はこう見えても空手の有段者ですが、本当にその条件でよろしいのですか?」
相手は少女だ。体力差はどうにもなるまい、と思って出た言葉だが、ババアは煙管を一服し、吸い口を軽く撫でた。
「お前さん、このババアが相手の戦力を把握してないとでも思っておいでかい?」
メイドが俺とババアの間に立つ。半身で軽く手を前に出している。防御主体の構えだ。ならば、と席を立ち、座布団をどけ、構える。当てればいいのだ、前傾、左手を突き出し気味にする。
「トウカ、客人に怪我をさせるなよ」
ババアの言葉に気持ちが突沸する。ふざけるな! 畳を蹴って近間に潜り込む。メイドは後退せず、角度を変えた。左拳を上げるふりをして相手を右の正面に誘導、できなかった。フェイクがバレている。メイドが近間よりさらに近間へ入ってくる。上げた左拳に相手の右手が触れる。握られ、引かれる。反射で引き返す。しまった、と思った時には背中から畳に落ちていた。
跳ね上がり、メイドを見上げる。初めの構えと寸分変わらない。

都合、十回ほど畳に叩きつけられた。
「もういいだろう」
そうババアが言うと、メイドは何事もなかったように部屋を退出し、襖を閉めた。忌々しいことに、息が荒れている。
「簡単に言うと、武力ではこちらが勝っている。法がどうだろうと、お前さんたちがどう考えようと、どうにもならない相手がいるって理解してもらえると楽なんだがね」
「…また、参ります」
「私の時間は安くないよ。面白いネタを持ってこないならこれきりだ」
キセルを一服。灰を煙草盆に落とす音が響く。
「お客様がお帰りだ。トウカ、お見送りを」

トウカと呼ばれた娘が門まで先導する。門を出て振り返ると、トウカと呼ばれた娘と目が合った。
「今回は…」
「いいえ」
言葉をさえぎられる。
「次回はありません。董子様の前にもう一度立とうとすれば、私があなたを排除します」
「戦いは一対一とは限らない。今日のように勝利条件が明確な戦いばかりとは限らない。君の優位は今日限りだと知っておくべきだ」
「私は董子様のためにやるべきことを全てできる。そのような言葉は狂人には通用しないとお伝えしておきます」
トウカと呼ばれた娘の目をのぞき込む。トウカとは凍てついた果てと書くのだろうか。